この句でいう「かの記憶」が何を指すかも、わかりにくくなってきた時代だ。もちろん作者は、いっけん曖昧な表現で、「あのこと」を言いたかったのだろうと思う。
緑蔭といえば夏だ。夏といえば、その時代を生きてきたものからすれば、あれしかないだろう。「戦争」である。8月15日、日本は戦争に敗れた。ただ、その時代を知るものは、戦争と観念的に括られるのは、嫌なのだと思う。
あの戦争の時代、普通の男たちはいやおうなく戦場に駆り出された。が、実際は赴く中で船とともに沈んだものも大勢いるし、死ぬためだけに南方の島に連れて行かれ「立派に戦死した」ものもいる。
あるいは、戦場に立ち、「敵」を殺戮したものもいただろうし、殺戮された友もいただろう。世にも恐ろしい原子爆弾の記憶をお持ちの方もおられるかもしれない。
筆者もそうだが、戦争を体験として知らないものにとっては、「戦争」というものをカギカッコで括って見てしまうところがある。が、昭和6年生まれの山崎さんの場合は、昭和10年代はまだ子供だったが、子供ながらにその時代を生きておられたから、体験として感じることは多いはず。
だから、作者は「戦争」と具体的にはいわず、「かの記憶」と大きくすくい取ったのだと思う。
いまは緑蔭に憩うニ、三人だが、そういう時代の記憶が鮮明に残っている。しかし、あえて声に出して語ろうとはしないで、今を生きている。
緑蔭は記憶のすべてをやさしく癒してくれる場になっている。ドラマをみるようなワンシーンである。作者は「響焰」主宰。響焰 2019.11