テレビ番組「プレバト」で、梅沢富美男と競う一方の雄は東国原英夫である。
この句のように、最近の日本は災害列島と化している。ことに東日本大震災以降はそんな思いが強い。地震、台風、局地的な大雨や大風など、いつ、どこであってもおかしくない状態だ。
先日の大風では、千葉県の房総半島は大規模な停電にみまわれた。完全に回復するまでにはまだ数日かかるという。
まだ残暑厳しい中で、冷蔵庫や冷房、扇風機などが使えない苦痛は想像を絶する。一日も早く回復するのをお祈りする。

さて掲句、「炊き出しや」と上五でいきなり言うことで、その情景が鮮烈な印象を与える。お腹をすかしたものは、行列に並ぶほかない状態だ。明日のことを考える余裕もなく、ただ空を見て並んでいる。空には「遠き秋の雲」が何もなかったようにぽっかり浮かんでいたのである。「ケ・セラ・セラ」(なるようになる)の思い。諦めの先に、生きることに前向きなるがゆえに自然に身を任せてい自分がいる。そういうふうに、自分を客観視している自分がいる。そこで救いのない気持ちを癒してくれたのは、過去も未来もまったく変わらない「遠く浮かんでいる秋の雲」という自然だけなのだ、ということに気がつく。
しなやかな表現でヒューマン溢れる句に仕上がっている。
東国原さんには同じ秋の雲を詠んだもので、こんな句もある。

鰯雲仰臥(ぎょうが)の子規(しき)の無重力

脊椎カリエスという、当時とすればたいへんな病いにおかされた正岡子規に対する共感の思いが一句になっている。
東国原さんは、これらの俳句から察するに、ピュアな人という印象が強いのである。