季語「秋思」は、「秋の寂しさに誘われる物思い」であると歳時記は解説している。心理的な季語なので、扱いにくい。最近のこれはという俳句は、「秋思」の持つムードなどを語らず、「秋思」という言葉そのものをうまく使って、俳句を面白くする傾向がある。この句の場合も「秋思」をまるで衣類かなにかのように捨てたり畳んだりするという扱い方には、巧みなワザを感じる。
それにしても畳まれた秋思はどこでどうなっているのだろうと思い、そう思う自分に気づいて微苦笑してしまうのである。深読みすれば、秋思とは思い出のことを指しているのかもしれない。捨てられる思い出もあれば、畳まれて大事に胸に保存される思い出もある。幼いころの思い出もあれば、恋の思い出があるかもしれない。いつまでも抱えてはいられない思い出も、人生には確かにある。
句集「貝塚」より。