いま、埼玉県に住む筆者は、郷里、栃木県に帰るときは必ず利根川をわたる。いわば利根川は県境のようなものなのだ。現在はそれほどではないが、水量も多く広々としているところから江戸期には関東を代表する河川として「大利根」「坂東太郎」などといささか大仰にいわれたりした。その名残りが現代にも続いている。
筆者はその橋を渡るたびにこの句を思いだし、声に出す。
俳句は、作った人の自己満足ばかりで、やがてはシャボン玉のように消えて無くなる、というものではないと筆者は思っている。俳句は複数の仲間と膝突きあわせて句会を催す。当然、そこで多くの人の目に触れる。良い句、好きな句、変な句など、選んだ人が頭の片隅で覚えていることはよくあるのである。で、思わぬところで思い出したりする。
そういうふうにして俳句は生き続けるものと思う。
作者も栃木県に住んでおられた。
東京へは蘭という結社の本部句会が銀座で月1回行われいたから、たびたび上京していた。そんな折の電車の車中での嘱目だろう。大利根の水の流れを見にきた銀やんまというのはじつは作者本人のことをいっている。そこに銀やんまを持ってきて、銀やんまが秋空に弧を描いてのどかに飛んでいる光景としたことで、いかにも俳句的で面白い作品となった。
句集「長堤」所収。