近代・現代俳句の世界で、いろいろな俳人が出た。もちろん、それぞれに個性があるから面白いのだが、その極北にいるのは三橋鷹女だと思う。
彼女の俳句は、伝統派か前衛派かなどと言う区分けが出来ない面白さ(ユニークさ)があるのである。
今、伝統派か前衛派かと書いたが、特に俳句の前衛派といわれる人で伝統派の人の多くからも支持されている俳人というのは少ない。
直近で、前衛派と目された人として金子兜太がいる。
しかし兜太は、おそらく芸術というものを知り抜いた人だったから、前衛派の俳句をそのままにせず、ギリギリ伝統派に近づいたところで作句活動を行った人ということがいえるであろう。
そうすることによって、大衆性を勝ち得たのだと言ってよい。
これは、その生きた時代性ということもあるかもしれない。かれは現代俳句協会の会長も長年務めた。この協会が、前衛も伝統も取り込んだ組織だった。つまり、伝統派と対立するわけにはいかなかったのである。
結果として、金子兜太は現代俳句において伝統俳句というものをも新しく飛躍させた第一の功労者だったといえるわけである。

さて、鷹女の句である。彼女の句は、解釈を拒むしたたかさがある。
「みんな夢」は作者の詠嘆の言葉だが、しかも人生そのものに対して言われるいささか大げさな言葉だ。いっぽう「雪割草が咲いたのね」は、その詠嘆の理由を述べたものであるが、雪割草は小さな花であり、語りかたも話し言葉がそのまま使われている。飾りのないない臨場感がある。一見大げさに見せて、可憐な小花に対する賛辞そのままが一句になっているのである。
鷹女俳句は、技巧的な句も含めて他者の追随を許さない独創性に溢れている。だから、いまも色褪せないのである。