「落葉掃く」作業というのは、それはそれは「気持ち(の穏やかになって)澄む(澄みきる・心静かになる)ところまで」やるものなのです、というのが句意。
もちろん、この句、たれに強要されるわけでもなく、自分自身に語りかけているのだ。
心が澄むまでになるには、ある作業に徹底的に埋没しなくてはなるまい。
俳句を詠む(作る)作業などというものは、いくら時間をかけても、むしろ心騒がせるところがある。創造的(クリエイディブ)な、複雑な作業というものはなかなか終わりが見えないからだ。
打ち込むこと、のめり込むことで現実を忘れることができる。そうやって無我の境に入ることができるのは、案外単純作業であることが多い。
現実を忘れることで、心は雑念を払い、限りなく澄んでゆくことになる。仏教でいう解脱の境地であろうか。「気持ち澄みゆくところまで」とは、願望であろう。掃除に対してそのような効用を見出している作者なのである。
「繪硝子」2020.2