この句は2010年刊の「星涼」という句集に入っている。今から考えると、10年以上前、つまり平成20年前後の作だ。
そのころすでに平成の前の年号「昭和」の記憶というものが実感として薄れてきたのか。
鰯雲は、入道雲のようにくっきりとした形はなく、高い空に散らばったとりとめのないかたちの雲である。その茫漠とした雲を平成の世に生きて見ていると、昭和などという時代はなかったように感じられてくるのである。以上は表の解釈だ。
この句の裏には、作者はあの戦争に明け暮れた「昭和」という時代を知っているだけに、あんな時代はもうこりごりだという心理があるであろう。なにより作者は昭和の生まれで多くの人生を昭和という時代に生きて来たのである。作者のこの句に込めた本来の意図は「戦争などなかったように鰯雲」ということではないだろうか。
平成の日本は戦争に巻き込まれることはなかった。そういう意味ではまさに平和な時代だ。そんな平和な時代が長く続いてほしいという願望を込めて、平成という時代を言祝いだ句のように思うのである。
作者の父上は、詩人の大木惇夫さんだ。