令和元年11月29日、中曽根康弘さんが101歳で逝去されたという報道が日本中を駆けめぐった。
筆者は、幸い何度かお会いする機会を得、握手も交わしたことがある。砂防会館に事務所があったころである。

掲句、「くれて」は漢字で書けば「暮れて」または「昏れて」だろう。単なる日暮れともとれるし、すべてが終わった後、というふうにもとれる。要するに「戦いすんで日が暮れて」といったニュアンスである。日は沈んだというのに、蝉は元気な鳴き声をやめない。そのひたすらな鳴き声はまさに「命の限り」という印象なのだ。
この句は、中曽根さんがまだ総理をしていらした若い頃の作であるが、氏の晩年(70代、80代、90代)を知る者にとっては、その境地を見事に言い表しているともいえる句である。
101歳と聞けば、大往生ですね、と人はいう。ただ、憂国の士の胸中には、今の政界を見るにつけ、忸怩たるものがあったに違いない。
以下、蛇足ながら。「憂国」で思い出した。
中曽根さんが官房長官だったときのこと、例の三島由紀夫事件が起きた。日本中が大変なショックを受けた。
が、騒ぎを鎮静化させるべく務めたのが中曽根さんだった。戦争に駆り出され、自身死を覚悟する体験をもっている中曽根さんには、三島の戦争讃美はとうてい理解できるものではなかったという。
1970年のこと。来年はその三島が没して50年目にあたる。感慨もひとしおである。
中曽根さんのご冥福をお祈りします。