小島てつを「人生が見えるから俳句は面白い」ブログ版

最近、最新の優れた俳句とその作者を紹介し、俳句の幅の広さ、その奥深さを堪能していただけましたらありがたいです。これをきっかけに俳句を作る人がふえてくれたら、最高です。

2019年12月

筆者も還暦を過ぎた。お付き合いいただいた何人かが、年々鬼籍に入られる。むろん年長の方が多い。年長の方とお付き合いすることの多い仕事だったから、なおさらその思いが強いのかもしれない。テレビで活躍していた人たちだってそうだ。いつか見なくなったと思ったら、亡くなられたという。
長寿時代といわれながらも、高齢者も亡くなるし、若い人だって亡くなる。大学時代の親しい友人で50歳を前に亡くなった男が2人いる。彼らのことを、ふとした瞬間に思い出しては、やるせなくなることがある。
また、会社を退職して間なしに大病にかかり4〜5年の闘病を経て亡くなられた俳人もいた。氏は40歳前後から飲み仲間として筆者をよく誘ってくれたものだ。飲みながらも、話は俳句のことがほとんどだった。
結社を立ち上げて10年、退職していよいよ専門俳人としての歩みを始めようとした矢先の病いは、まことに酷なことであった。
人の死は絶対的なものだ。そういう絶対的なものからくる喪失感は大きい。
歳末になると、こんな思いが特に強い。あの人も亡くなったか。この人も亡くなったか。そんな思いは、例えるなら、まるで時の川を航く船から、人がひとり、またひとりと水がこぼれるように落ちていくようなものだという。
侘しいことではあるけれど、よくわかる句である。いずれはたれもがその中の一人となる。

この句は2010年刊の「星涼」という句集に入っている。今から考えると、10年以上前、つまり平成20年前後の作だ。
そのころすでに平成の前の年号「昭和」の記憶というものが実感として薄れてきているのか。
鰯雲は、入道雲のようにくっきりとした形はなく、高い空に散らばったとりとめのないかたちの雲である。その茫漠とした雲を平成の世に生きて見ていると、昭和などという時代はなかったように感じられてくるのである。以上は表の解釈だ。
この句の裏には、作者はあの戦争に明け暮れた「昭和」という時代を知っているだけに、あんな時代はもうこりごりだという心理があるであろう。なにより作者は昭和の生まれで多くの人生を昭和という時代に生きて来たのである。作者のこの句に込めた本来の意図は「戦争などなかったように鰯雲」ということではないだろうか。
平成の日本は戦争に巻き込まれることはなかった。そういう意味ではまさに平和な時代だ。そんな平和な時代が長く続いてほしいという願望を込めて、平成という時代を言祝いだ句のように思うのである。
作者の父上は、詩人の大木惇夫さんだ。

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