小島てつを「人生が見えるから俳句は面白い」ブログ版

最近、最新の優れた俳句とその作者を紹介し、俳句の幅の広さ、その奥深さを堪能していただけましたらありがたいです。これをきっかけに俳句を作る人がふえてくれたら、最高です。

2019年11月

令和元年11月29日、中曽根康弘さんが101歳で逝去されたという報道が日本中を駆けめぐった。
筆者は、幸い何度かお会いする機会を得、握手も交わしたことがある。砂防会館に事務所があったころである。

掲句、「くれて」は漢字で書けば「暮れて」または「昏れて」だろう。単なる日暮れともとれるし、すべてが終わった後、というふうにもとれる。要するに「戦いすんで日が暮れて」といったニュアンスである。日は沈んだというのに、蝉は元気な鳴き声をやめない。そのひたすらな鳴き声はまさに「命の限り」という印象なのだ。
この句は、中曽根さんがまだ総理をしていらした若い頃の作であるが、氏の晩年(70代、80代、90代)を知る者にとっては、その境地を見事に言い表しているともいえる句である。
101歳と聞けば、大往生ですね、と人はいう。ただ、憂国の士の胸中には、今の政界を見るにつけ、忸怩たるものがあったに違いない。
以下、蛇足ながら。「憂国」で思い出した。
中曽根さんが官房長官だったときのこと、例の三島由紀夫事件が起きた。日本中が大変なショックを受けた。
が、騒ぎを鎮静化させるべく務めたのが中曽根さんだった。戦争に駆り出され、自身死を覚悟する体験をもっている中曽根さんには、三島の戦争讃美はとうてい理解できるものではなかったという。
1970年のこと。来年はその三島が没して50年目にあたる。感慨もひとしおである。
中曽根さんのご冥福をお祈りします。

紅葉を愛でていたと思ったら、あっという間に落葉の季節に変わってしまう。このころの自然の推移はまことに目まぐるしいのだ。
はらはら落ちる落葉も、最初は見た目にもきれいだが、次第に枯れ色がふかまり、紙くずのようになってしまうと、人間の生活の周囲に散らばった落葉はむしろめざわりであり、結局燃やされてしまう運命にある。
人の目に触れない山中の落葉などは、積もり積もって腐葉土と化して、これから伸びていく木や草の肥料となっていくのだが。
この句、落葉を焚いている匂いからカレーの匂いに連想されている。そうだ、今夜はカレーにしよう!
落葉焚きの落葉の焼き焦げていく匂いとカレーの匂いとがイメージ的に繋がったのである。共感するかどうかは個人差があろうが、そこにシンパシーを感じる人が多ければその句は成功したといえる。イメージが近すぎると、低俗になる。
「こんだて」とひらがなで書いたのも優しい感じがしてよい。
熊谷さんの俳句のイメージの飛躍はたいへんユニークなものが多い。
作者は大正生まれ。加藤楸邨の「寒雷」に参加。その後俳誌「頂点」にも加わった。熊谷さんの主宰誌「逢」には正木ゆう子さんなども参加されていた。先年、亡くなられた。
句集「火天」より

時々、何年も前に亡くなった俳人の名句を読みたくなる。
この句の作者、秋元不死男さんにお会いしたことはないと思う。(もしかすると、角川の賀詞交歓会のようなところでお見かけしたことがあるか?その程度である)
そんなご縁だが、私の中では好きな句の多い俳人の一人だ。
わが師・野澤節子は、好奇心旺盛な方で、演劇も好きだった。ある時、「常陸坊海尊」という本を見せて、この著者は、あの俳人の秋元不死男さんの妹さんよ、といわれた。
長くなるので、この話はこれくらいにするが、俳句を作る兄と劇作家の妹という兄妹は羨ましいと思った。
さて、その秋元さんの句。冬に入り、どこを見ても野原や田園など、枯れ草に覆われている。ものみなねむりの時なのだが、太陽だけは暖かい日差しを降り注いでいる。そんな中機敏に動くものが部屋の中にあった。時計である。しかもただの時計ではなく鳩時計だという。鳩時計は時間が来ると扉が開いて、ポッー、ポッポーと鳴いて時間を知らせてくれる。今、鳴き出した鳩時計。それをふと見ながら、部屋の中の鳩の可愛い動きと、それとは真逆の部屋の外の止まったような時間とのあわいに自分がいることに気づいたところから生まれた一句であると思う。句集「万座」所収。

名は「としふみ」と読む。愛称「フジモン」。この句もテレビ番組「プレバト」から。
花鶏は「あとり」と読む。アトリはスズメ目アトリ科の鳥で、スズメよりやや大きい。頭部と背は黒く、胸と脇は黄褐色、腹は白い。日本には秋から冬にかけて渡来するところから、晩秋の季語になっている。
アトリ科には色彩の美しいヒワや鳴き声の可愛いウソなども含まれる。
いわば、スズメより少々大きめの小鳥。その小鳥が飛んできて、店の近くに降りたったのだろう。朝の店のショーウィンドウには、焼きたてのアップルパイがたくさん並んでいる。おいしそうな色と香り。焼きたてと書かれた洒落た札がその近くには立っている。
アトリが、朝のさわやかな風を運んでくるような、明るい景色の見える句だ。
フジモンは1970年の生まれ。お笑いタレントにして時々詩的な才能のキラリと光る句を作り、周囲をおどろかす。





テレビ番組「プレバト」から。
落語家の志らくさんの句だ。
入船亭扇橋師匠など、前々から、俳句を作る落語家はいた。が、こういう番組から生まれるというのは、珍しいケース。こういう番組で俳句を発表する作者たちは、本当に俳句を作りたいのか、ただ出演したいだけなのかが、今ひとつ不明なのである。
とまれ、ぜひ、今後とも番組を離れても俳句を作ってもらいたい才人の一人であることは間違いない。
先日、日経新聞が投資の特集を組んだ。冒頭に渋沢栄一翁の顔の絵を飾っていたが、まさに日本資本主義の父と呼ばれるにふさわしい知性と風格をそなえたお顔だ。
現代にあって、少しも古さを感じさせないところから、作者は「色変えぬ松」という季語を持ってきたのだと思う。時間が経っても古びない渋沢翁と、あたりは紅葉に染まる華やかな木々ばかりの中にあって、色を変えない松というのは、直接の関連はないものの、対照的ということで繋がっているし、近代人とはいえいまなお輝きを放つ歴史上の人物、渋沢と枯れない松の取り合わせは、一脈通じるものがある。そこがこの句の面白いところなのである。

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