小島てつを「人生が見えるから俳句は面白い」ブログ版

最近、最新の優れた俳句とその作者を紹介し、俳句の幅の広さ、その奥深さを堪能していただけましたらありがたいです。これをきっかけに俳句を作る人がふえてくれたら、最高です。

2019年09月

檀一雄はいろいろな小説を書いてきた作家だ。ロマンに富んだ放浪ものや実体験をもとにした評伝や恋愛ものがあるかと思えば時代小説も書いている。
晩年の大長編「火宅の人」は、今まで書いてきた私生活ものの集大成といってよく、大変売れて、のちに映画化もされ話題を呼んだ。
掲句は、亡くなられる際、ベッドで書かれた遺句ということで報道された。筆者もそう記憶している。「花に」の「に」がカタカナの「ニ」で書かれていたため、その表記で各紙誌に紹介され、その表記がその後ずっと踏襲されて来ている。
モガリ笛が毎晩聞こえてくる。モガリ笛は、虎落笛と書く。冬の、柵や窓に当たりヒューと鳴くような激しい音がすることあるが、その不気味な音を言ったもので、冬の季語。自分はもう直ぐ死ぬのだ。今夜なのか、明日なのか。まもなくお迎えがくる。だが、死んでも美しい花に逢いたいものだ、そんな花園に行けたらいいな、という願望の気持ちを、彼らしくストレートに詠んだものである。
1976年、63歳で亡くなった。その死はあまりに早く訪れた。女優の檀ふみさんは娘さんである。

勢いの感じられる句である。勢いはとても大事だ。勢いは、若さからくる詩情の発散のようなものだ。
生活における勢いがそのまま反映されることもある。短いがゆえ、勢いは大事なのである。(逆に、頭で捏ねくり回して作った句というものには感動がない、ということも言える)

夏目雅子を凄い女優だったとは思わない。活躍していた当時はモデル出身ということもあり、まだ若く現在進行形であり、これから変貌していく伸びしろのある女優だと思い、客観的に評価することができなかったのである。それはそうであろう。完結してみて初めて本当の評価は定まるのである。ただいくつかの力作映画は永遠に残るであろう。
プライベートでは、作家、伊集院静との出会いは(お互い)大きかった。彼女は生前、俳句をたしなんだ。その話も、亡くなってから知った。気のおけない友人たちと句会をやっていたという。そこに出した俳句が今、遺されている。遺す目的で作られたものではない。ただ、生前、自分の言葉で綴ったものは、結果的に俳句しかなかったのではないか。没後何冊か追悼の本が出たが、俳句を書いた本以外、ほかはみな写真集や身近な人たちが書いたエッセイの類いだった。
さて、掲句。亡くなる約40日前の85年8月2日の夜、慶應病院からほど近い神宮の森で開かれた花火大会を詠んだ句であるという。3回目の化学治療が一時的に成功し、元気を取り戻していた頃、「ママ、明日の晩、イーさん(伊集院)と3人で花火を見ようね」と言ったという。遺句とのこと。星空と花火を重ね合わせて、しかし無音状態、まことに幻想的な夜空のページェントを描いてみせた。ほかに、

野蒜摘む老婆の爪のひび割れて
結婚は夢の続きやひな祭り

の句が挙げられている。
「野蒜」の句は、横浜外人墓地近くに大家族で住んでいた少女時代、曾祖母と庭仕事をしていて爪の間に泥をいっぱいためているのを見た雅子が「いいよ、いいよ」という曾祖母の手をととって、一生懸命に掻き出してあげた思い出をもとに作った句、結婚の句は、「短かった結婚生活は幻だったのかと錯覚してしまう」くらいだったと本人が書いた文章の中で紹介されているとのことだ。俳号は「海童」、27歳の死は残念である。
「いのちの句」(毎日新聞社刊)。

「プレバト」からもう一人ご紹介する。掲句の作者、村上さんは、番組では「フルポン村上」と言われる。フルーツポンチというお笑いグループの一人だから、そう言われる。
村上は1980年、茨城県の牛久市の生まれ。先ごろ話題になった大相撲力士の「稀勢の里」も同じ牛久の出身で1986年の生まれだ。
年齢からいうと梅沢富美男、東国原英夫両氏よりずっと若い。30歳ぐらいであるから、新しい感性が自由自在に羽ばたく時期である。掲句もそう。
「サイフォンに潰れる炎」とは、コーヒーを淹れるときにサイフォンを見つめていて気づいたことであろうが、「炎が潰れている」とは、面白い捉え方だ。炎が潰れるほど近くにサイフォンがあった。サイフォンの中は、どんどん沸騰し激しく泡立っていたことだろう。それに対して下五の季語は「花の雨」。桜を散らすほどの激しい雨である。炎も、サイフォンの湯も、外の花の雨も、それぞれに動きがある。動きはそれぞれ激しさを感じさせる。激しい動きは時間の推移を感じさせるのである。
部屋にサラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」でも流れていたりしたら、いうまでもなくドラマのワンシーンを思わせる。そんな一句である。
村上さんには、以下のような句もある。

真夜中の花屋の灯り秋澄めり

この句の「灯り」「秋澄めり」もそうだが、掲句の「炎」「花の雨」もともに明るいが深い雰囲気がある。深いというのは、背景にドラマが感じられるということで、これは作者の持っているものから来るのであろう。

テレビ番組「プレバト」で、梅沢富美男と競う一方の雄は東国原英夫である。
この句のように、最近の日本は災害列島と化している。ことに東日本大震災以降はそんな思いが強い。地震、台風、局地的な大雨や大風など、いつ、どこであってもおかしくない状態だ。
先日の大風では、千葉県の房総半島は大規模な停電にみまわれた。完全に回復するまでにはまだ数日かかるという。
まだ残暑厳しい中で、冷蔵庫や冷房、扇風機などが使えない苦痛は想像を絶する。一日も早く回復するのをお祈りする。

さて掲句、「炊き出しや」と上五でいきなり言うことで、その情景が鮮烈な印象を与える。お腹をすかしたものは、行列に並ぶほかない状態だ。明日のことを考える余裕もなく、ただ空を見て並んでいる。空には「遠き秋の雲」が何もなかったようにぽっかり浮かんでいたのである。「ケ・セラ・セラ」(なるようになる)の思い。諦めの先に、生きることに前向きなるがゆえに自然に身を任せてい自分がいる。そういうふうに、自分を客観視している自分がいる。そこで救いのない気持ちを癒してくれたのは、過去も未来もまったく変わらない「遠く浮かんでいる秋の雲」という自然だけなのだ、ということに気がつく。
しなやかな表現でヒューマン溢れる句に仕上がっている。
東国原さんには同じ秋の雲を詠んだもので、こんな句もある。

鰯雲仰臥(ぎょうが)の子規(しき)の無重力

脊椎カリエスという、当時とすればたいへんな病いにおかされた正岡子規に対する共感の思いが一句になっている。
東国原さんは、これらの俳句から察するに、ピュアな人という印象が強いのである。

梅沢富美男さんといえば、(失礼ながら、お若いころ)下町の玉三郎いといわれた美女?姿は多くのファンの心を掴んだし、歌謡曲「夢芝居」が大ヒットしたことでも知られる芸能人だ。
筆者が「プレバト」という番組を見始めたのは、ここ二、三年ぐらい前のこと。もちろん梅沢さんが俳句を作るなど知らなかった。ところが、番組の俳句選者の夏井いつきさんとの掛け合いなどを聞いて、梅沢さんが俳句の腕をメキメキと上げていることを知った。
さて、掲句。遺影という素材を使って、人間の生命の尊厳を表している。飛行機の座席に人が座らず遺影が置かれているという。そうしたのは、亡くなられた人の身内の方の想いからなのか、仕事上の関係者が亡き人を讃えた行為だったのか、その辺の詳細は語られていない。
が、その人間性に心温まるものを感じることが出来るのである。その、心の温もりが季語「秋夕焼」によってより強く理解されるのである。梅沢さんにはこんな句もある。

廃村のポストに小鳥来て夜明け

この句、廃村に追い込まれた住民に対する想いが感じとれる。ポストに来る小鳥を描くことによって、住処を失った人間の悲しみがよく表れている。

老境に入られた梅沢さん。俳句は、やはり老人の文芸なのか。圧倒的に梅沢さんの同世代の人たちによって俳句は支えられている。それが現実であると思った。


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