鶏が砂浴びをしているというのだから、陽光もたっぷりと降り注いでいる日中であろう。ゆったりと時間が流れているのどかな昼の光のなか、鶏は「くう」という声を出して鳴いたというのだ。意味のない声のような気がする。意味のない声を発したというところに、この鶏の至福が
アーカイブ:2019/05
五百羅漢五百涼しき顔持てる 加古宗也
本日(2019.5.18)加古さんから、俳人協会刊の自註句集をお送りいただいた。その中の1句。静岡県三ケ日の方広寺での作だという。同寺は禅宗の古刹。掛け軸などの絵も禅宗系はボロ衣をまとい人間臭い表情をみせたものが多い。最も飾らない仏教、それが禅宗なのである。五百羅漢
春立つや紅差し終ふる飴細工 高山 檀
あまり見かけることのなくなった飴細工ではあるが、祭礼の夜店などにはなくてはならないものだ。いろいろ捻られ、着色されて完成する。この句でいう紅が染め上げられたのは、工程としては最後の仕上げなのであろう。しかしあざやかに色付けされた飴は、春の始まりにふさわし
ちやりんこを押して向ふ児春一番 占部詩子
ふつう「ちゃりんこ」と「や」を小さく書く。「向う」も「向ふ」と書く。それが新カナ遣いだ。旧カナは促音を大きな文字で書く。初心者は、この旧カナ遣いの問題で、けっこう苦しむことになる。が、言葉であるから、一つ一つ覚えてゆくほかない。俳句は趣味としてはお金はか
待つといふ刻得て崩すかき氷 藤木倶子
この句は、藤木さんの代表句といってよいかもしれない。八戸に住んでおられた(と過去形で書くのは、藤木さんがすでに故人になられているからだ)から、その生活ぶりはあまりわからないが、同郷の作家三浦哲郎さんなどとも交流されていたし、よく東京でのパーティなどにも顔を