小島てつを「人生が見えるから俳句は面白い」ブログ版

最近、最新の優れた俳句とその作者を紹介し、俳句の幅の広さ、その奥深さを堪能していただけましたらありがたいです。これをきっかけに俳句を作る人がふえてくれたら、最高です。

2019年05月

鯉の口はたしかに印象的だ。池のなかでいつもパクパク動かしている。ふつう、口を開けば水が身体中に入って、苦しいはずなのだが、そうはならない。しぜんには、理屈で割り切れないことが多々ある。それが面白いし、俳人はそういう現象に焦点をあてようとする。この句もそうだ。あの鯉のクチパクから、きっと何かを言っているに違いないと捉えたくなる。いまは春昼。これからの午後の時間はゆったりとしたやさしい日差しのもと、時が止まったように感じられるかもしれない。そんな思いの中、鯉が何をつぶやいているか、非常に気になるところではある。暖響2019.6

作者は、俳句を作る上で、ただ美しいとか嬉しいという感覚で作ることをしなかった。どちらかというと、少しひねくれてモノを見て、そして作った。少年時代は、日本は戦争だった。戦場にこそ行かなかったが、少年時代は戦中で、大人になって戦後。ずっと戦争を憎んでいた。戦争憎悪は、戦中ウソをついていた権力者たちへの憎悪でもあった。戦後も、どちらかというと権力者を憎んだ。この憎しみが俳句を作る上でも、創作力の原点になっていたように思う。この句に説明はいらない。
句集「朝の森」より

一行の詩とは俳句をいっているのだと
思う。たしかに寂しいといえは寂しい。例えば現代詩。短くても何行かある。詩集など見ると、見開きで1篇というのが多い。歌謡曲などの詩は3番まであるのが多い。最長のものということでいえば1冊まるごと1篇の詩であるという本もあった。それらにくらべ、俳句は紛れもなく一行の詩。しかも十七文字しか使えない。そういう意味では寂しいが、それがまた良い。日本人ならではの価値観なのだろうか。未来図2019.5



「未来図」35周年記念号が届いた。そこから主宰作品を1句。
余花、春に遅れて咲く花。特に、おそ咲きの桜をいう。そうか、余花にも華やぎがあるのか。一般的には早咲きを愛でる風潮が主流だが、ゆったりとした時の流れの中で見つけた、いまようやく開きはじめた遅咲きの桜一輪。よくよく見ると、華やかさは、ほかの花たちと少しも変わるところがない。いな、むしろ遅咲きゆえの華やぎがあるではないか、というのが句意。俳人としては中村草田男主宰の「萬緑」での修行時代を経て、やがて一誌「未来図」を起こした。長い時間の流れの中で、「萬緑」は休刊となったが、「未来図」はいまも多くの人が集まって支えてくれている。自身の人生にもなぞらえた句であろうか。
未来図2019.5

蝶が花の上をかろやかに飛んでいる景色など見ると、春だなと思う。春だなと思うと、なんとなく心がほのぼのとしてくる。それと同時に、さあ私も活動を開始しなければ、と思う。この句の作者もまた、行動を開始しようと思ったに違いない。
辛夷2019.6

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