結社誌に載る投句というのは、知友の場所は別として、作者の情報はほとんど載らないためわからないのである。掲句の作者もまた筆者にとっては、全く未知の方である。年齢はおいくつぐらいか、どこに住んでおられるのか、男性か女性かも不明なのである。
筆者は作者のことを知らないため、パーティの会場などでふいに声をかけられ、そのイメージの違いに驚いたことたびたびである。「虚子」以来、男性の名前に「子」の文字が付くことも多くて、そういうことでも混乱したことたびたびだ。この作者の「かつら」というお名前からその性別を判断することも難しいのである。
作者のそんな属性はどうでもいいだろうといわれれば、まあ、どうでもいいのだが、よい句に出会うと、ついどんな人が作ったんだろうと考えてしまうのは人情ではあるまいか。鑑賞する上では、知らないより知っているほうが有利であると思う。
情報の多い今の社会はストレス社会だ。常にいざこざがつきまとう。そんなつまらないいざこざなんてものはリュックにしまって、目の前に繰り広げられる「遠花火」という美しいものに酔いしれていたい「現在」。
同時掲載の句、

夏空に雲の作意のひとつ見る

も頷ける。夏らしい入道雲など見るとそんな思いになる。未来図 2019.10