勢いの感じられる句である。勢いはとても大事だ。勢いは、若さからくる詩情の発散のようなものだ。
生活における勢いがそのまま反映されることもある。短いがゆえ、勢いは大事なのである。(逆に、頭で捏ねくり回して作った句というものには感動がない、ということも言える)

夏目雅子を凄い女優だったとは思わない。活躍していた当時はモデル出身ということもあり、まだ若く現在進行形であり、これから変貌していく伸びしろのある女優だと思い、客観的に評価することができなかったのである。それはそうであろう。完結してみて初めて本当の評価は定まるのである。ただいくつかの力作映画は永遠に残るであろう。
プライベートでは、作家、伊集院静との出会いは(お互い)大きかった。彼女は生前、俳句をたしなんだ。その話も、亡くなってから知った。気のおけない友人たちと句会をやっていたという。そこに出した俳句が今、遺されている。遺す目的で作られたものではない。ただ、生前、自分の言葉で綴ったものは、結果的に俳句しかなかったのではないか。没後何冊か追悼の本が出たが、俳句を書いた本以外、ほかはみな写真集や身近な人たちが書いたエッセイの類いだった。
さて、掲句。亡くなる約40日前の85年8月2日の夜、慶應病院からほど近い神宮の森で開かれた花火大会を詠んだ句であるという。3回目の化学治療が一時的に成功し、元気を取り戻していた頃、「ママ、明日の晩、イーさん(伊集院)と3人で花火を見ようね」と言ったという。遺句とのこと。星空と花火を重ね合わせて、しかし無音状態、まことに幻想的な夜空のページェントを描いてみせた。ほかに、

野蒜摘む老婆の爪のひび割れて
結婚は夢の続きやひな祭り

の句が挙げられている。
「野蒜」の句は、横浜外人墓地近くに大家族で住んでいた少女時代、曾祖母と庭仕事をしていて爪の間に泥をいっぱいためているのを見た雅子が「いいよ、いいよ」という曾祖母の手をととって、一生懸命に掻き出してあげた思い出をもとに作った句、結婚の句は、「短かった結婚生活は幻だったのかと錯覚してしまう」くらいだったと本人が書いた文章の中で紹介されているとのことだ。俳号は「海童」、27歳の死は残念である。
「いのちの句」(毎日新聞社刊)。