かつて俳文学者の山下一海さんは、与謝蕪村の句を歌うようだと指摘していた。(この点、記憶違いでしたらご容赦ください。近日中に原典にあたります。)
このことを思い出したのは、岩淵喜代子さんの自句自註を読んでいて、素朴に感じた第一印象が、歌うような句が多いのではないかということである。例えば、
春窮の象に足音なかりけり
や、
すかんぽを国津神より貰ひけり
浜豌豆(えんどう)咲けばかならず叔母が来る
桔梗(きちこう)の花に折目や湖(うみ)暮るる
そして掲句などを見るとわかると思うのだが、いかがだろう。
句の意味が分かりずらい分、逆にリズムが素直に感じとれる。筆者は、決して岩淵さんの句が難解だと言おうとしているわけではない。否、むしろ分かりやすい方に分類される俳人であるが、時折見せる分かりにくい句が、もう一つの味わいを醸しているのである。虚と実との重層的な作句工房は、まことに現代的なのである。
掲句である。黒揚羽という存在を、まるでその存在自体が「うそ」のように現実的なものではない。あるいは「影」のようにまったく目立たぬもの、というのである。ここまで無化された黒揚羽というものは、むしろ妖怪のように怖い存在なのだと作者は言いたいのかもしれない。