「死を思え」、確か「メメント・モリ」というのだとずいぶん前に藤原新也のエッセイで知った。生まれ変わりというのは、夢物語としては、大変面白い。人間は誰も(一部の例外をのぞいては)あの世から生還した人はいないから、死は自我の消滅ということになっている。それにたいし宗教は、そうではないという。あの世で幸せに暮らしたかったら、この世で良いことをたくさんしなさいという。盗みをしてはいけない、人を殺してはいけないなどのモラリスティックなタブーがいわれるようになる。まあ、宗教の話は置くとして、この句、作者も死を思う年代になって考えることがあるのであろう。そんなとき、百日紅が見えたのだ。筆者は、もう数十年前のことだが、大学の卒論で連歌師の宗祇をテーマにし、まずは墓参りをと、富士の裾野の墓に詣でたが、墓石の脇に立つ百日紅の花が咲いていたのが印象的であった。花びらの赤はけっして華やかな赤でなく、慰めるような淡い赤だとその時知った。

新詩歌句年鑑2018*小島てつを評