小島てつを「人生が見えるから俳句は面白い」ブログ版

最近、最新の優れた俳句とその作者を紹介し、俳句の幅の広さ、その奥深さを堪能していただけましたらありがたいです。これをきっかけに俳句を作る人がふえてくれたら、最高です。

今を生きる俳人の、特に優れた俳句を読むことで、今を生きる読者(または実作者)のみなさんのこころに少しでも癒しの風が吹いてくれたらいいなと念願して、今日も鑑賞を書きます。ご感想なだお寄せいただければうれしいです。

この句の眼目は「夕べの風を*待つ心」である。俳句は、実体のあるものを詠うことが多いが、 この句のように、実体のないもの、感覚的なもの、そして人の心を詠むこともある。ただ、実体がない分、ムードに流されやすいという欠点がある。が、この句、風鈴という、だれもが知っている、夏を代表するモノを通して表現しているから、解釈にブレはほとんど生じない。柔らかい表現ながら、そんな強さ、したたかさがこの句にはある。諷詠2018.6

どんど焼き、とんど焼きとも言う。要するに、神社に集まった古いお札をお焚き上げする、そのついでに枯枝なども一緒に焚べることで、お参りのかたが暖をとれるようにする。寒い体にはありがたい暖かさだ。この句、燃え盛るどんど焼きの火が、空(の星)までを焦がすほどに舞い上がっている勢いあるさまが目にうかぶ。かびれ2019.5

愛憎、つまり愛しさやその反対の憎しみも長い時間が経ち、いまや遠い過去のこととなったなぁ、と思う。もういいか、許してやるか、忘れてやるか、と。流し雛は、ひな祭りも終わり、もうその人形もわが家での役目を終えたから、流すことで供養するという行事である。過去となりたり、というから、すでに作者は決着を付けていたのである。雛流しは、形代流しとも言われる。いまの自分に不要なものは、人形という形代とともにどこか遠くに消し去りたかったのである。いまふうに言うなら、気持ちをリセットしたということだ。かびれ2019.5

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