小島てつを「人生が見えるから俳句は面白い」ブログ版

最近、最新の優れた俳句とその作者を紹介し、俳句の幅の広さ、その奥深さを堪能していただけましたらありがたいです。これをきっかけに俳句を作る人がふえてくれたら、最高です。

今を生きる俳人の、特に優れた俳句を読むことで、今を生きる読者(または実作者)のみなさんのこころに少しでも癒しの風が吹いてくれたらいいなと念願して、今日も鑑賞を書きます。ご感想なだお寄せいただければうれしいです。

明日は3月3日、雛祭りである。
今もなん段もある雛段を設置し、みやびやかな雛人形を飾っている家庭がどのくらいあるかはわからないが、公共施設やホテルのロビーなどに飾られているのを目にすることがある。
見ると、やはり、その華やかさや懐かしさについうっとりするのは、筆者もまた日本人であり、そのDNAのせいであろうかと思ったりする。
いずれにしても、今後もなくならないでほしい日本の伝統行事の一つだ。
さて、掲句。作者の幼少期の思い出のシーンを詠んだものかもしれない。そう思わせるのは、「擦り剥きし膝」など、現代の子どもにはあまりふさわしくないように思うから。
最近よく「昭和している」などという言い方をテレビなどで見受けるが、この句のシーンはまさに「昭和している」であろう。
「膝を揃えて」雛人形の前に正座する子ども。
スカートの下に出ている膝小僧には擦り剥いた傷が見える。男の子同様、おてんばな時期ゆえ、仕方ないのだ。だが、膝を揃えて座っているところが愛らしい。
少女も、十年もたてばもっと女の子らしくなるのであろう。そして、雛人形のお姫様のように成人式を迎える。
そのような日が来るのは、けっして遠い先ではないのである。
句集「てっぺんの星」所収。

蕗の薹は春の訪れを知らせる、明るい植物。
小さな植物ながら、人のこころをほっこりとさせてくれるところがある。
道端で見つけたりすると、はっと嬉しくなる。
掲句、蕗の薹はまさに「日のかけら」だという。それを「集めて」、そして「散らす」、そんな動きをする可愛い姿かたちに感動した、という句。
すべて作者のイメージで語られる、蕗の薹。
いきいきとした俳句を多く作っている作者らしい、生命感溢れる春にふさわしい一句である。
「俳句あるふあ」2011.2-3
 




隠岐島は島根県の離れ小島のようなところがある。歴史的に見ても、隠岐島は後醍醐天皇を幽閉したてまつった辺鄙なところということになっている。
もちろん、今は、そこに生活する人はたくさんいるのだろうが、人口密度からいえば、本土の比ではない。むしろ、隠岐島は牛の方が多いかもしれない。
そんな島に、雷鳴が轟き渡る。雷鳴は、その稲光や轟きに人間は萎縮するが、驚きもしないものがいるという。それが、牛なのだというのだ。
牛は、一見、鈍感そうに見える。が、案外神経質な生き物である。
だが、雷鳴ぐらいではたぢろがない。
人間だとそうはいかない。
臆病な人間と、逆にたくましく生きている牛との交流が、隠岐島には今も息づいているのかもしれない。
「馬酔木」2020.3


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