小島てつを「人生が見えるから俳句は面白い」ブログ版

最近、最新の優れた俳句とその作者を紹介し、俳句の幅の広さ、その奥深さを堪能していただけましたらありがたいです。これをきっかけに俳句を作る人がふえてくれたら、最高です。

今を生きる俳人の、特に優れた俳句を読むことで、今を生きる読者(または実作者)のみなさんのこころに少しでも癒しの風が吹いてくれたらいいなと念願して、今日も鑑賞を書きます。ご感想なだお寄せいただければうれしいです。

この句、「海から山」をどう解釈するかであろう。
海の旅といえ船旅を思う。山旅といえば登山、ハイキングなどがある。
一つのツアーで海から山へと続けて出かけた、というふうにも理解できるし、海の旅もした、山の旅もしたな、と、それらを回想しつつ、イメージの中で一つの海と山の「春の旅」が形作られたというようにも考えられる。
いずれにしても、海は冬の暗さはすでにない。山も、木の芽が萌えはじめて緑いろに染まりつつある。両方を一時期に楽しめる旅とは、なんと贅沢なものだろう。「春の旅」の、弾むような鼓動も聞こえてくるようだ。
「入りけり」と、動きを感じさせる言葉で終わらせたことにより、上記のような印象が倍加されるのである。

うららかな陽気は、人のこころをとろかし解放する。目の前には、右といわず左といわず、大きな森が広がる。
森は冬の寂しさから少しずつ脱皮しつつある。
冬、樹木は枯葉を散らし、枯木となる。しかし今、枯木から木の芽がしだいに伸びつつある。
その木の芽も、やがて美しい葉を着け、枝を伸ばし、そうして花を着けるのだ。梅や桜などがまずそんな春のドラマを開始する。こうして、森は明らかに変貌を遂げてゆくのだ。
作者は、「右も左も親しき木」という。この句の一番大事なところ。そして、面白い表現として拍手をおくりたいところだ。
「右も左もなく」とは、すべての木という木は、といいたいのである。それらの木は、春らしく様相を変えようとしている、と。
春は、生命あるものの姿かたちを大きく変えようとしている。
その不思議。自分だって樹木同様、生命ある存在なのだ。親しみを感じて見ている自分がいる。うららかな春のドラマはまだ序章に過ぎない。
ここから新たなドラマは「波」「急」へと続いて行く。

西行は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて、日本各地を歩いて和歌を詠んだ僧侶にして歌人として有名。
「嘆けとて月やはものを思はするかこ  ち顔なるわが涙かな」(「小倉百人一首」86番)
「願はくは花の下にて春死なむそのきさらきの望月のころ」
等の歌が知られている。
その西行が亡くなったのは、文治6年(1190)2月16日、73歳で息をひきとった。
掲句は、西行と同じように、今日は海、明日は山と、俳句作りのため毎日旅に出かけている私は、いつも独りで歩く日々なのだ。末尾「独り」は、重い言葉である。
寂しいぞ!
そんな気持ちを抱えて日本全国を歩いた西行、その孤独感は、今の私にもわかるような気がする。
そう思う作者。
作者は、「浮野」主宰・落合水尾さんの弟さん。2016年、明日は75歳の誕生日という日に亡くなられた。伊豆の下田に生き、俳句を詠んだ作者である。こんな句もある。

唯(ただ)生きるそのことが芸(げい)花木槿(はなむくげ)

句集「在るがまま」(2018年、北溟社刊)所収。

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