小島てつを「人生が見えるから俳句は面白い」ブログ版

最近、最新の優れた俳句とその作者を紹介し、俳句の幅の広さ、その奥深さを堪能していただけましたらありがたいです。これをきっかけに俳句を作る人がふえてくれたら、最高です。

今を生きる俳人の、特に優れた俳句を読むことで、今を生きる読者(または実作者)のみなさんのこころに少しでも癒しの風が吹いてくれたらいいなと念願して、今日も鑑賞を書きます。ご感想なだお寄せいただければうれしいです。

この句、季語は「鳥雲に」である。俳句をつくらない人にはわかりにくい季語であるかもしれない。
鳥が雲に上がるというような意味だ。春になると、鳥たちも活気にあふれて空高く舞い上がる。
春の初めは三寒四温だが、だんだん暖かくなってくる。そうすると、鳥たちも元気に空を飛び回る。その頃の季語だ。
この句の上五、中七の「産声はあたたかな声」は、声、声と重なっているように、作者の視点(聴覚?)は聴覚に絞られている。人間の赤ん坊の産声は、未来を秘めてパワフルである。パワフルでありつつも、優しく、あたたかい声、というふうにも感じられる。
このあたたかな声と、日一日と暖かくなってくる春の気温とがリンクして作者には感じられたのだ。
春は四季の季節の始まりであり、いろいろな生き物たちも次なる生命を孕む時期である。そのあと、つまり春も深まる頃には巷に人間や動物の産声があふれるのである。

春とはいえ、まだ寒い日が続いていることが多い。
冬はマフラーが必需品だったが、それほど寒さを感じなくなった春、和服の女性の場合、ショールを巻いて出かけることが多い。
ショールは、なかなかの小道具でもある。巻いている立ち姿が美しいのだ。だから、和服を着る機会の少なくなった今でも俳句の季語として重宝がられている。
「ハルショール」という響きもよい。
この句でいう「時間の戻るなら」は、あまりに楽しい時間が終わってしまった。その時間に戻りたいものだ、と思ったのだ。後ろ髪を惹かれつつ、外に出た。
その瞬間のつぶやきが、そのまま一句に収められたのである。

この句の本意は、あまねく降り注ぐ春の光の中に、瀬戸内の海が広がっている、
その光の眩ゆさに、いくつかある小さな島々も見えなくなっているというのだ。
光に隠されたようで、なんとも不思議だけれど、それだけ光が強いということである。
「紛れ込む」とは、擬人化した表現だ。瀬戸内海の島々の方が能動的にみずから姿を消した、隠したというニュアンスがこもっている。
島が消えたあとには、春の波がキラキラと波打っているばかりである。

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