小島てつを「人生が見えるから俳句は面白い」ブログ版

最近、最新の優れた俳句とその作者を紹介し、俳句の幅の広さ、その奥深さを堪能していただけましたらありがたいです。これをきっかけに俳句を作る人がふえてくれたら、最高です。

今を生きる俳人の、特に優れた俳句を読むことで、今を生きる読者(または実作者)のみなさんのこころに少しでも癒しの風が吹いてくれたらいいなと念願して、今日も鑑賞を書きます。ご感想なだお寄せいただければうれしいです。

落花はいうまでもなく落ちてきた桜の花びらのこと。
「おくれ来し人」とは、遅れて来た人のこと。パーティーかなにかの会合、あるいは花見の宴に遅刻して現れたその人ということだ。
その人、よく見ると、肩などに桜の花びらが付いているではないか、という驚きがそのまま一句になっている。
遅れているのがわかっているから、慌てて会場を目指してきたのである。付いた花びらを振り払う余裕もなかったのだ。
付いているものが花びらだというところにユーモラスなふぜいがある。
「まとひし」という表現にほのかな雅びさが表われている。桜の花びらは薄くて大きいから、まことに付きやすいのである。

今年(令和2年)の連休中の3月22日、関東は桜の満開の時を迎えた。
ただそのあと、北風が吹いたりして、寒い日が続いている。
こんな陽気を「花冷え」という。
まだ開いたばかりの花びらだが、風には弱く、すぐに散りはじめてしまう。花見は今週いっぱいはできると思うが、新型コロナウイルスの影響で、花見などする余裕がないという人が多いのも事実である。

気分を切り替えて、掲句について見ていこう。

缶詰の缶の切り方は、(最近のペット用缶詰のように、プルを引っ張り一気に開けるタイプではなく)言われてみると、コキコキと缶を切り、たしかに後ろ向きに回して開いていく。(コキコキという擬音語は、お分かりの方も多いと思うが、秋元不死男の名句からの借用だ)
それはさておき、うららかな陽気とは違い、花冷えのキッチンで缶詰を切る作業をしていて、ふと思う。
この寒さでは、今日も花見に出かける気持ちにはなれないな、と。
そんな作者の心情を表現している缶切りの動作なのである。象徴的な動作が、はっきりと今の自分の心境を表している句である。

鍵和田秞子(かぎわだ・ゆうこ)さん、このたび日本詩歌文学館賞を受賞された。おめでたい限りである。
さて、掲句は、何年か前の作であるが、鍵和田さんの句、情緒をもろに表すことなく、硬質な言葉で観念的に納得させていく作法は、師の中村草田男ゆずりの作法である。
そんな鍵和田さんの代表句の一つがこの句である。
この句のポイントとなる言葉は「光陰」と「こぼれ落つ」である。
光陰は、月日のことである。光陰矢の如しなどという。それが「こぼれ落ちる」とはどういうことか。
すみれ束がほどかれたことによって、土がこぼれた。同じように、ぱらぱらと光陰がこぼれ落ちたのだという。光陰は実際目に見えるものではない。
すみれは春の花だ。長い冬を経て、ようやく春の花は咲く。すみれを育てた土も長い年月を共に生きてきた。すみれの花を咲かせるため、ずっと守ってくれたのが土なのである。
花屋で、すみれの束を手にする。こぼれ落ちる土。すみれの花のいのちを育んだ土。長い時間すみれを慈しんでくれたものが土なのである。
だがこの句、「光陰こぼれ落ちる」は、すみれに仮託しながら、われわれ人間のことを詠んでいるようにも思われてならないのである。

このページのトップヘ