小島てつを「人生が見えるから俳句は面白い」ブログ版

最近、最新の優れた俳句とその作者を紹介し、俳句の幅の広さ、その奥深さを堪能していただけましたらありがたいです。これをきっかけに俳句を作る人がふえてくれたら、最高です。

今を生きる俳人の、特に優れた俳句を読むことで、今を生きる読者(または実作者)のみなさんのこころに少しでも癒しの風が吹いてくれたらいいなと念願して、今日も鑑賞を書きます。ご感想なだお寄せいただければうれしいです。

今年の桜は、新型コロナウィルスの影響で、花見されることもなく、散ってゆくしかない。なんとも寂しそうである。
花の美しさは、例年と変わらないのだから、ひとしおそう思うのである。
さてこの句、遠くの山の中腹あたり、はっきりと桜のいろが塊になって見えたという句。
あれはまぎれもなく桜の花なのだ、と確信したというのである。
この句のポイントは、桜は遠くにあっても、その清楚な色彩から、真から美しく見えるし、見た者にすれば、見たことでなんとも得したような気分になったということだろう。
年に一回きりの桜との出会いだ。
いつも見ている場所なら、そこへ行けば出会えるが、知らぬ土地での偶然の出会いは、ありがたみが倍に感じられるようである。

十六歳というと高校1〜2年生ぐらい、もっとも多感な時である。
自分に目覚め、将来を考えはじめる。
大人になりきれない年代だから、大人のごまかしがイヤだと思い、反抗してしまう。たれもが通った道であろう。
その年代のもやもやを「花ぐもり」に仮託した。桜満開の頃の曇り空である。すっきり晴れてくれればいいものだか、そういう日ばかりではない。
どんよりとした花曇りのなかで、作者は、その年代のありようを「時限爆弾」と形容した。自身の体験があったのかもしれない。
短い詩のなかでは、分かりやすい比喩である。「時限爆弾のようだ」と言いたいのだが、「のようだ」を省略することで断定的な強さが生まれた。
この句が作られたのは、もう数十年前であろう。
現代の「時限爆弾」の年齢は、もしかすると、もっと低年齢化しているかもしれない。

季語は「花の雨」、桜が咲いているころに降る雨のこと。
晴れた空の下で味わいたい桜の花だが、無情な雨はゆっくり立ち止まることもままならず、花のことはやや脇に寄せられてしまう。
それでも花見の客は多いのであろう。
駅までの道は、人、人、人で混みあっている。雨であれば、傘をさしたりして、なおさら人の動きはスローぎみ。
次の駅まではそれほど遠くない。歩く道々で桜を見ることもできる。
「ひと駅を歩いてみるか」
というつぶやきがそのまま一句になっている。
作者は、落語などの研究者としても著名なエッセイスト。軽妙洒脱な句だ。

このページのトップヘ